2019年入社。東京都出身。若手でも出世でき、社員同士が認め合う社風に惹かれて入社。子供の頃からバスケ、バレエ、ダンスなど体を動かすことが大好きで、自分の足で売り上げを作れる営業を希望。管理職を目指し奮闘中。
子どもの頃から体が動かすのが大好きで、しかも「超」が付く負けず嫌い。だから面接の時にもお願いしました。「男性と全く同じ条件で、ルート営業で働かせてください!」って。実家が酒屋で、父や祖父がトラックを運転してお酒を配達している姿をよく見ていました。だから、私も同じようにトラックを運転してお客様に自社の製品を届けてみたかったんです。就活の時は、営業職で他にも商社や食品業界のメーカー、医療機器のメーカーなども見ていました。でも結局、「西原商会さんの人情味溢れる、温かい雰囲気がいいな」と思ったんです。更に、実力主義の会社なので若手で出世する人も多く、年齢や社歴に関係なく心から認め合える社風は自分にぴったりかもしれない。そう考えて、夢はでっかく!どうせなら1番を目指したい!と西原商会を選びました。
想像より、1番への道は険しいと知った。
泣きながらトラックを運転した日々。
「自分ってこんなにできないの?」。期待に胸を膨らませながらいざルートにデビューして、愕然としました。非力で重い荷物は持てないし、道は覚えられないし。それで迷子になって、お客様を何時間もお待たせして、ものすごく怒られた。「やりたい」って気持ちに知識も体も全然追いついてくれなくて、不甲斐なさに泣きながらトラックで高速を走る日々。しかも、私は本当に人に頼るのが苦手なんです。先輩に相談しよう、なんて選択肢は当時の私には無くて、同期との差を感じながら、一人で抱え込んでいました。でも先輩方は私がそういう人間だって気づいて、心配してくれていたんですよね。向こうから手を差し伸べて、話を聞いてくれて、そこで初めて「どうすればいいかわからない」と相談することができました。連休前後は品数も増えるし、道も混む。それが分かっているから、当日の配達時間が遅くなることをあらかじめ伝えて、お客様にどんな料理なら提供できるか一緒に対策をしておく。失敗に対して先手を打つためのコミュニケーションを、先輩にアドバイスいただきながら少しずつ学んでいきました。
見ていてくれる。手を差し伸べてくれる。
慰めより、次につながる
アドバイスがありがたかった。
3年目にしてグループ長、そして営業所の副主任という立場にもなりました。でも、それはあくまでスタートラインでした。きっかけは三島支店への転勤。新規オープンする支店には、全国からエース級の営業が集まります。どんな場所なんだろう、とワクワクしながら飛び込んだ三島支店は、予想を遥かに超えていました。知識もスキルも圧倒されました。明らかに私だけ実力不足なんです。ホテルやペンションのメニューに合わせておすすめの商品を売り込む「メニュー決め」も、先輩方はどんどん注文を取っているのに、私だけ悲惨な結果。工夫したつもりなのに、競合他社に取られてしまう。優秀な先輩に委縮して焦燥感が膨らみ、自分で自分を潰しかけていた、その時。ある先輩が「ここ、まだメニューの変更効くから、何かやってみたら?」と声をかけてくれた。「この商品評判良かったから提案してみなよ」「夏メニューに向けての商品も探そうか」と先輩方。ちゃんと見ていてくれたんです。しかも、私が一度やってみないとわからないタイプだからと、今まで好きにやらせてくれていた。一度失敗しても、自分なりに最後まで考え、実行できるようにいつも先輩がサポートしてくれる。チャレンジを許してくれる、そんな西原商会の「温かさ」が、このときも私を成長させてくれました。
女性営業職としてキャリアを積む。
私が、そのモデルケースになる。
三島支店では凹んだ経験もあったけれど、私が成長できたのも、間違いなく三島支店でした。あれからも、三島支店で知り合った先輩と相談の電話をよくします。人に、頼れるようになったんです。その後、相模原支店へ異動し、商品を売ることはもちろん、いろんな方々の橋渡しとなって営業所を盛り上げられるようにコミュニケーションを大切にしています。特に新人には、「なんでも聞いてね」と定期的に声をかけるようにしています。自分を気にかけてくれている人がいることの嬉しさ、ありがたさを、先輩方が教えてくれましたから。営業が好きで、トラックに乗りたくて入ったこの会社。国内の営業本部で管理職になった女性営業職はまだいません。だからこそ、私が「西原商会の営業としてキャリアを積みたい女性」にとってのモデルケースになっていきたいと思っています。仕事もプライベートも諦めることなく、バランスを取って働いて、私の後に続く女性営業職のロールモデルになれるよう、これからも頑張っていきます。